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仙台高等裁判所 昭和49年(ネ)48号 判決 1977年12月20日

控訴人

李後童

右訴訟代理人

大学一

被控訴人

日本国有鉄道

右代表者総裁

高木文雄

右訴訟代理人

中村幹夫

高木幹雄

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し金六七八万五五七四円と右金員に対する昭和四五年二月一〇日から支払済みにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。

この判決は主文第二項に限り、仮に執行することができる。

事実<省略>

理由

一被控訴人が、列車を利用して旅客運送業務を営んでいること、昭和四四年一月三〇日午後一〇時二五分頃、福島県双葉郡浪江町大字権現堂字塚越八番地の被控訴人常磐線浪江駅構内で、同駅午後一〇時二五分発の水戸駅始発原ノ町終着の下り最終普通列車すなわち第二三七列車が発車直後、控訴人が右列車から転落し、両脚切断、左大腿部骨折の傷害を受けたことは当事者間に争いがない。

二ところで、<証拠>によると、控訴人は、本件事故の発生について、おおむね次のように供述している。すなわち、控訴人は、本件事故当日、平駅午前五時五二分発の列車で所用のため上京し、午後二時三〇分発の下り列車で東京を出発し、平駅に午後五時四七分に到着して、同市内のバー「たんぼ」で友人尹孝同と逢う予定で待つたがこないので、同駅午後七時五二分発の列車で浪江駅に着き(同駅着九時一六分)、駅近くの自宅に帰つたが、翌日会津若松市で知人の弟の結婚式に出席するために原町市の武藤滑之助の車に同乗させて貰う予定であつたことから、同市内の控訴人の息子の家に行つて泊まるため、第二三七列車に乗るべく再び家を出て浪江駅に向い、出札口で駅員の高橋市郎から、原ノ町駅までの乗車券を買つたところ、改札口には誰れも居らず、同人が入鋏のうえ乗車券を渡してくれたので、改札口をとおつて跨線橋から下りホームに出て、すでに到着していた第二三七列車に乗ろうとして右手で右側の手すりを掴んでデツキに足を乗せたらガタンと列車が振動して出発したはずみに足を踏みはずしたので、左手でも手すりを掴んだが一五メートルぐらい引きずられてから落ち、請求原因記載のような傷害を受けたというのである。右の控訴人の供述は、東京で控訴人と逢つたという証人猪狩四郎、バー「たんぼ」へ立ち寄つたというと人千葉フヨ子、当夜原町市に出かけることになつていたということに関する証人武蔵清之助、同武蔵シゲ子(当審における氏名は武蔵シゲ)、第二三七列車に乗るために出かけたということに関する証人徐一連、同李春子(原審および当審)、同山本裕子(原審および当審)の各証言と合致し、しかも<証拠>により現に浪江駅から原ノ町駅までの入鋏された切符を所持していたことが認められることから、簡単に排斥することができない信用性を有するものと解される。

三しかし、<証拠>によると、本件乗車券の裏面には「九〇一七」の番号が付されているところ、被控訴人の内規によると、一般に乗車券の裏面には着駅別に一連の番号が付されていてその番号順に発売されるということになつているのに、本件事故当日は浪江駅発午後七時一四分の下り第二二五列車で原ノ町駅で降りた乗客から九〇一八番までの乗車券が現に回収されているし高橋市郎も右第二二五列車の発車前に控訴人に乗車券を発売したと証言していることが認められることに加えて、当日下りホームで第二三七列車の発着業務を行つた同駅助役である証人陶哲雄の原審および当審の証言、浪江駅の証人菊地信夫の証言と前掲高橋市郎の証言によると、浪江駅で第二三七列車に乗ろうとした乗客は一人もいなかつたとする点で一致した証言があり、前述の控訴人側の証人の証言と真向から対立し、真偽いずれとも全く認め難い。しかし、控訴人が当日第二三七列車に乗るため浪江駅に入るのを現認している前掲山本裕子の証言は客観性があつて、控訴人と通謀した虚偽の証言とは到底解し得ないことに加えて、被控訴人が主張するように本件乗車券が第二三五列車の発車時間に控訴人が買つたとすると、本件事故当日の午後七時頃控訴人がいわき市平にいたという前掲証人千葉フヨ子の証言と矛盾することはひとまず措くとしても、右乗車券には入鋏されていることから控訴人が一旦浪江駅から午後七時頃の上り線に乗車し、途中で再び下り線に乗車し第二三七列車で浪江駅に引き返してきたという奇矯な行動を想定せざるを得ないという不自然さが生じることから、右被控訴人の主張は採用できず、控訴人はやはり浪江駅から第二三七列車に乗車したものと認定するのが相当であり、九〇一八番の乗車券が原ノ町駅で第二二五列車の乗客から回収されたことも、番号が前後して発売されたなど乗車券発売の事務上の手違い等によるものと推定するのが相当である。<証拠判断・省略>

三ところで、右のように控訴人が、浪江駅で第二三七列車に乗車したと認定せざるを得ないとしても、事故の発生の態様についての前掲控訴人の供述にはこれを補足する目撃証人等の直接証拠がなく、かえつて前掲証人陶哲雄の証言によると、同人は、下りホームで第二三七列車には乗客がなく、安全を確認したうえ発車合図をしたが同列車が発車して間もなく列車の前の方の列車側ホーム側へ黒い影のようなものがさつと現われたような気がしたので一旦停止信号を出したが、光の影かと思いなおして停止信号を取りやめたが、その後前方の影が出たあたりを確認のため行つたところ控訴人が倒れているのを発見したと述べ、また証人保板好昭の証言によると、同人は、第二三七列車の機関助士をしていたが、浪江駅出発に際しては、機関士の後方から当務駅長(陶哲夫)の出発合図を確認し、出発信号機を確認し、発車後一車両分ぐらい動いたところまで後方を確認していたが異常を認めなかつた旨供述して居り、前記控訴人の供述と相反する証拠が存在し、当日業務に従事していた者の供述として簡単に否定することはできないが、前述のように、控訴人が第二三七列車に浪江駅から乗車したという事実が否定し難いこと、前述の証人陶哲夫が見た影のようなものが線路に落ちたということは控訴人がその主張のとおりに転落した現象とも考えられない訳ではないこと、現場の検証の結果では、第二三七列車の出入口は旧式の手動のドア付デツキとなつていて、当時出入口とホームとの高さの差が三〇センチ位あつたこと、控訴人は、ホームから列車に列車に乗車する姿勢のように線路にむかつた姿勢でホームの笠石によりかかつて倒れていたことが認められるのであるから、控訴人が主張する経緯で受傷した可能性は否定できないのであり、また、前掲証人陶哲雄の証言によると、第二三七列車の停車時間は僅か三〇秒であり、同人はその間発車警告ベルを鳴らし、遮断槇降下表示灯をみて踏み切りの遮断機が降りたことを確認し、ホームの前方および後方を確認するという多様な業務を行つている反面、当日は改札口から乗客があることを知らせる連絡ベルも鳴らなかつたというのであるから、同人が乗客がないものと信じて控訴人の動静を看過したという疑いも払拭しきれない。また第二三七列車の機関士中根重一の証言によると、出発時の衝撃でデツキから足を踏みはずすことはあり得ないという証言が認められることや、前掲証人保板好昭の証言の内容から考えて、控訴人が発車後の第二三七列車に飛び乗ろうとして失敗したのではないかという疑いもあるが、もしそうであるとすれば、ホームにおける控訴人の行動は、当然陶哲雄に発見できる筈であるのに、同人は全くこのような行動を現認していないので、飛び乗りの事実を認定させる決め手の証拠もない。

四もともと、控訴人が被控訴人から乗車券を購入することによつて、被控訴人と控訴人間に旅客運送契約が成立することは被控訴人も認めるところであり、乗車券に対する入鋏は、運送契約の履行の着手と解することができる。したがつて被控訴人は、商法五九〇条にしたがい、旅客が運送のために受けた損害については、従業員に過失がなかつたことを証明しない限り損害賠償責任を免れることはできない。そしてこれまで検討してきた証拠関係のもとでは、控訴人、被控訴人双方の立証が尽くされているが、なお真偽不明の点多く、控訴人の受傷の結果が現実に発生していることから考えて、被控訴人側に乗客である控訴人の安全を確認して列車を発進させる業務の履行についてまつたく無過失であつたという心証はなお得難いものがあり、したがつて被控訴人は、控訴人の本件事故による損害について損害賠償義務を免れ得ないものというべきである。

五そこで損害額について検討する。

(一)  <証拠>によると、控訴人は、昭和四四年一月三〇日から同年一一月一三日までいわき市所在の竹林病院で入院治療を受け、その治療費として金三三万一一五九円を支払い、同日から昭和四六年九月三日まで原町市所在の渡辺病院で入・通院治療を受け、その治療費として金一四万八八二三円を支払い、また右通院期間中歩行練習および温泉治療法のため福島県双葉郡富岡町所在の旅館「海遊館」に一八日間滞在し、その費用として金三万八〇〇〇円を支払つたことが認められる。この合計は金五一万七九八二円である。

(二)  <証拠>によると、控訴人は入院中付添看護婦を雇い入れ、その費用として金四六万五九八二円を出捐したことが明らかであり、右金員は、控訴人の受傷の程度からして止むを得ない出捐であるとみられる。

(三)  <証拠>によると、控訴人は、本件事故により着衣、靴、腕時計等を損傷し、合計金一三万二六〇〇円の損害を受けたことが認められ、この認定を覆えすに足る証拠はない。

(四)  <証拠>によると、控訴人は当時五六才で、在日朝鮮人総連合会福島県本部から本給四万六〇〇〇円、家族手当六〇〇〇円、職務手当五〇〇〇円合計金五万七〇〇〇円の支給を受けていたが、本件事故の受傷によつて退職せざるを得なかつたものであり、両脚切断の後遺症により労働能力を殆んど喪失したことが認められる。してみると稼働可能年令を事故後一〇年である六六才とみてホフマン式算定法により中間利息を控除すると、その額は、金五四三万四三一一円となる。右金額が認容すべき逸失利益であり、これを超える請求は理由がないというべきである。

(57,000×12×7.9449(10年間のホフマン係数)=5,434,311)

(五)  以上を要するに控訴人は本件事故により合計金六五五万〇八二一円の損害を受けたとみるべきであるが、本件事故については、控訴人側にも発車間際に不用意な乗り方をしたという不注意が存在することは否めないので過失相殺をし、過失割合を控訴人三、被控訴人を七とみると、被控訴人において賠償すべき金額は金四五八万五五七四円となる。

(六)  控訴人が本件事故により受けた傷害の部位、程度、入・通院期間、後遺障害の程度や前記過失割合を勘案すると、控訴人の精神的苦痛に対する慰藉料は金二〇〇万円が相当であると認める。右金額を超える請求は理由がない。

(七)  本訴提起に要した弁護士費用として金二〇万円を請求する控訴人の請求は相当であると認める。

六以上の次第で、被控訴人は、控訴人に対し合計金六七八万五五七四円と右金員に対する事故後で控訴人が請求の起算日としている昭和四五年二月一〇日から支払済みにいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務を負担するものというべきであるから、控訴人の本訴請求は、右の限度で理由があるが、その余は失当として棄却さるべきである。よつてこれと一部結論を異にする原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(石井義彦 守屋克彦 田口祐三)

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